カタチ優先の”協議”
新学期ですので数学から少し離れて一般の話題提供をします.
テーマは協議(=集まって相談すること)です.協議そのものに何ら疑問はありませんが,フト首を傾げたくなる場面が目に付くようになりました.
■ 「ハイ!では,このあとは,いつものように各グループで話し合いをしてください.10分後,代表の人はグループ報告をしてください」
「本日の研修会の進め方ですが,①担当者による解説,②各班ごとの協議,➂各班からの報告、④まとめ,の順となります」
■ このように,グループごとの話し合い=協議 の設定は,今日では,小中高大の教室内はもちろん,企業の研修,地域活動の集まりなどまで,官民問わず全国いたる所に浸透しております(※ただし,政治テーマは相変わらず敬遠されているようですが).
■ 「個別最適な学びと協働的な学びの実現」(中教審答申 ‘21.1)の精神よろしく,メンバー参加型の研修(授業) ⇔ “協議”の設定 という構図であり,今日的な潮流となっております.
“予定調和”としての協議
■ 特に,「協働的な学び」の視点に立った研修(授業)改善に異論の余地はあろうはずもなく,「学びの学び方」を考えさせられた次第です.
その上で,学びの質を考えるとき,「今日の潮流」の「流れ様」に,どこか引っ掛かりを感じます.
■ 気になる問題点
①主催側も出席側も,スケジュール感をもって集っている.換言すれば,「予定調和で終始する会」化していませんか.
②「そろそろ協議だ.何言えばいいかな.これまでの空気を読むと・・・」と予定調和に染まっている方も少なからずいると見ておりますが,どうでしょう.
➂特に,授業のグループ協議でしばしば見受けられる光景です.(a)リードする子どもの固定化, (b)テーマの意味理解が各メンバーに徹底しないママ協議に突入している
④「皆さん,〇班の報告ですが,どうですか?」「いいで~す」「ハイ,拍手」というパターンが多いですね.「真理」に近づいたというより,台本通りか!という思いを強くします.
■ 端的に言えば,授業や講義が,指導の「型」に拘泥する事態に陥っているケースはありませんか?
“協議”は手段
■ 「予定調和」が発生する根源はどこにあるのでしょうか.
協議の場面設定は,あくまで学びを深める・確実なものにするための”手段”であり,目的ではありません.この手段と目的を混同させると「予定調和」が産まれやすいと見ております.
■ 予定調和の何がよろしくないのでしょうか.
逆に問います.
予定調和でよいこととは何でしょうか? ⇒ 少なくとも主催側にとっては計画通りにコトが進むわけですからよしとなります.
しかし,活動の大半が予定調和,すなわち「シャンシャン大会」で終始するような場が,ヒトの「創造性」とかけ離れていくことは間違いありませんね.
“言いたくて仕方ない” 心境までテーマに接近させる
■ 結論を述べてしまいますが,「形だけの協議」はほとんどナンセンスです.指導者側の自己満足で終始します.
どうしたらよいでしょうか?これといった対案の明示はできませんが,参考例を紹介します.
<例>
(1) 国語の授業
昔ムカシのこと,先輩の国語教師y氏の展開した授業が印象に残っています.題材は,芥川龍之介作の「蜘蛛の糸」です.
■ 地獄にいる悪人カンダタは,お釈迦様の計らいで,極楽から垂らされた一本の蜘蛛の糸にぶら下がっています.
それを見た他の悪人たちもその糸にぶら下がり始めました.
カンダタは「降りろ!降りろ!」と大声で叫びました.
その瞬間,糸は切れてしまい,お釈迦様は悲しい顔をしてその場を去って行きました.
■ 勤務校は,生徒急増期ということもあって,日常の授業展開にも結構苦労する状況でした.
y氏は「〇さん,あなたがカンダタだったらどうした?」とやや真顔で問い尋ねます.その迫力に押されながら〇さんも必死で答えます.y氏は「△君,君ならどうですか?」「□さん,あなたは?」と次々に指名・発問を続けます.
普段は冗談程度の会話で日常を過ごしている生徒たちです.が,そのときは,同級生の真摯な態度と,ときには意外な返答に内心驚いている様子が窺えました(※想像.でも間違いない).
■ 正解がないであろう難題に,クラス全体が自分のこととして思い悩む.自分も何か言いたい,あのヒトの意見も知りたい・・・こんな雰囲気が醸成されつつありました.
⇒ 今日であれば,このタイミングで「協議」突入となりましょう.適当なグループによる話し合い・協議は深い学びにつながるものと確信します.
■ 次のような展開はどうでしょう.
「ハイ!今,音読しましたが,あらすじは分かりましたね.では,各班ごとに分かれて主人公カンダタの気持ちをメインにして感想を10分間述べ合ってください.その後,代表者は・・・」
上っ面をなでるような内容になるのは必至ですね.せっかくの教材もこれでは・・・
■ y氏はこの教材を通して生徒たちの「個性」をも引き出しています.
クラスメートは感じています.「エッ!あのチャラ男の彼が,あんなマトモなことを考えているなんて思いもしなかった」「生死にかかわる極限状態ではないけど,日常の中で同じように迷い・悩むことってあります」
y氏と「表層教師」との違いは,指導手法ではなく,教材観の決定的差です.この教材をもって子どもの何を引き出すか?そんな思いが根底にあるかどうかです.カタチ優先では~!!
(2) 数学の授業
数年前,TVで放映された数学の授業光景(神奈川県内の私学高校.担当者・学校名等,細部失念)からです.
■ 比較的若い数学の先生でした.あいさつもそこそこに,黒板に直線と2点を描きます.
「2点を通って直線と接する円の方程式を求めてください」
「条件はそれだけですか?」「はい」
生徒たちはややざわめき出します.先生は知らんぷり.
■ 以下,省略しますが,生徒たちは個人で計算したり,あるいは周囲と相談,中には,教室内を自由に動いてあちらこちらで意見交換をする姿も.これこそ協議です!予定調和の要素は微塵もありません.
この指導者自身も正解を持っておらず,問題作成中段階の問いかけであったようです.実際,2点の位置によって解は何通りかになり,そこまで言及していたグループもあって指導者も感心していました.
予定調和,協議ありき の授業とは対極に位置する映像でしたね.
もちろん「進度はどうするのだ」「私学だから可能なのだ」等々の声もありましょう.
しかし,生徒が違う・学校環境が異なるから,予定調和・協議ありきで仕方ないという論にはならないと思いますが.
<補足>
■ 協議を内実あるものにするには,事前努力が必須です.「まず,協議ありき」では,犯人が分かっている推理小説・TVドラマをみる感じです.エセ教育者は「説明したって理解されないときは,まずカタチから入ることだ」と煽動しているのではとさえ思っています.
■ 次回は「算数・数学独特のことば」(予定)です.あえて「独特」と付けました.独特とは感じないほど算数・数学に染まっていませんか?
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